チャレンジ ヒストリー

JR新札幌駅 50歳おめでとう!

新札幌駅 50歳おめでとう

去年9月にこのブログで書いた「50周年への助走」で、「『あつ!ベンチャー』としては、来年の9月9日には、みんなで♪ハッピーバースデー♪を歌って、新札幌駅の50歳の誕生日をお祝いできればと思っていますが、いかがでしょうか」と提案をさせていただきました。そして、開業50年を迎えた今月9日土曜日、そのとおりのイベントを実現することができました。

開業翌年のJR新札幌駅(提供:厚別区民歴史文化の会)

このブログでも書いてきたように、新札幌駅は、札幌市が周辺一帯のニュータウン開発を進め、副都心を作ろうと、陸上自衛隊の弾薬庫に移転してもらい、その跡地に建設費を全額負担して建設されました。開業時の新札幌駅について、当時の駅長・駅員は「駅はと見ると、ただコンクリートの支柱が並ぶ鉄橋の様なものが見えるだけ、不安と期待が交錯していた」、「はたしてここで、純旅客駅として営業が成立つのだろうかと、いささか淋しい思いが胸をかすめました」と、述懐しています(「新札幌駅10年のあゆみ」1983年9月 国鉄新札幌駅)。しかし、周辺のニュータウンも発展し、「野原の一軒屋的な駅」も、今や道内でも4番目に利用者の多い駅になりました。この駅が「新札幌」と命名されたおかげで、街全体も新札幌、そして「シンサツ」と呼ばれるようになりました。そんな地域を牽引してきてくれた駅に「ありがとう」を言いたい。厳しい状況の中で公共交通機関を守ってくれているみなさんに、毎日通勤で使わせてもらっている者として「ありがとう」と言いたいという思いがありました。

メッセージを書いている浴衣姿の女性

そんなわけで、9月9日、朝9時半から付箋とマジックペン、発泡スチロールのボードを持ってJR新札幌駅の入り口に立ちました。そして、「新札幌駅はきょうでちょうど開業50年を迎えました。記念のメッセージを書いていただけないでしょうか」と駅の利用者に呼びかけました。付箋に書いてもらったメッセージは、ボードに貼り付けていきました。まさに老若男女、通勤や買い物、旅行などさまざまな目的で駅にやってきた人たちが足を止め、メッセージを書いてくれました。「もうあれから50年にもなりますか」、「昔、通勤で使って。たんですよ」としみじみ振り返る年配の人もいれば、ノリノリで書いてくれた高校生のグループもありました。中には「きょう神戸から来たんです。記念日に来られてラッキーでした」という若いカップルもいました。7時間呼びかけた結果、ボードには100件ものメッセージが幾重にも貼り付けられました。「駅員さん、いつも親切な対応ありがとうございます」「地域と一緒にこれからも発展していきましょう」。いつもは大勢の人が言葉を交わすこともなく忙しく行き交っているけど、本当はこんな感謝の思いを抱いているんだと改めて思いました。

午後5時からは、駅のコンコースでささやかな記念のセレモニーを開きました。私が所属する厚別歴史写真パネル展の実行委員会のメンバーも応援に駆けつけてくれました。コンコースの両側の壁には、駅の呼びかけで、区内の保育園児や駅を訪れた子どもたちが描いた色とりどりの塗り絵がびっしり貼られていました。セレモニーでは、開業間もない頃の駅の写真を掲げ、駅のこれまでの歩みを手短かに紹介しました。

そのあと、利用者から寄せられたメッセージや花束、お菓子を河井幸弘駅長(かわい・ゆきひろ)や柴草健太助役(しばくさ・けんた)にプレゼントしました。プレゼンターを務めてくれた浴衣姿の女性は、この日メッセージを書いてくれた方で、突然のお願いにもかかわらず、快く大役を引き受けてくれました。最後に、その場に居合わせた利用者など約30人で「ハッピーバースデートゥーユー」を「ディア シンサツ」の歌詞で大合唱し、駅の50歳の誕生日を祝いました。河井駅長からは「思いがけず利用者のみなさんにこういう機会を作っていただき、大変うれしいです。これからも安全安心を第一に業務に励みます」というお礼の言葉をいただきました。

ほんのささやかなお祝いでしたが、利用者と駅のみなさんの心にホッコリした思い出として残ってくれれば幸いです。

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