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「厚別七福神」の初詣

明けましておめでとうございます。「あつ!ベンチャー」、ことしも地元・厚別のことを深掘りして発信していきます。よろしくお願いします。

さて、お正月と言えばやはり初詣ですよね。厚別区内には神社が七つあります。五十音順に、大谷地神社(おおやち)、上野幌神社(かみのっぽろ)、小野幌神社(このっぽろ)、信濃神社(しなの)、澄丘神社(すみおか)、下野幌八幡神社(しものっぽろはちまん)、山本稲荷神社(やまもといなり)の七つです。「あつ!ベンチャー」では、これを勝手に「厚別七福神」と名付けてみました。四国八十八か所めぐりは有名ですが、「厚別七福神めぐり」というのもいいのではないか。そう思い立ち、元日の昼過ぎから「厚別七福神」の初詣にでかけました。

小野幌神社

まずは、国道12号線沿いにある私の地元の氏神様、小野幌神社です。宮司はいないので、臨時の社務所では地域の人たちが参拝者の対応に当たっていました(「七福神」の中で宮司が常駐しているのは、信濃、大谷地、澄丘の3社のみです)。私の娘もかつて初詣の時にお手伝いをさせていただいたことがあります。早速お参りをした後、おみくじを引いてみると、なんと「大吉!」。そこにはこんな言葉が書いてありました。「人生は七転八起。必ずしも良い時ばかりではない。むしろ逆境にめげず高い理想のもとにひたすらな精進を続けたならば次第に運勢開け成功確実となる」。運は不断の努力でつかめとの思し召し。肝に銘じて精進します。おみくじのおかげで「七福神めぐり」にも勢いがつきました。

信濃神社

次は、厚別区内で一番参拝者が多いと言われている信濃神社です。100m以上ある参道は入り口付近から参拝者の長い列ができていました。なかなか進まず、寒さが体の芯まで沁みてきます。30分以上かかって参拝の順番が巡って来たときには、それだけでありがたみを感じてしまいました。

信濃神社は、厚別区内では最も早く開拓に入った長野県出身者によって明治30年(1897)に創建されました。境内にはそのリーダーだった河西由造(かわにし・よしぞう)の功績を称える石碑なども立っています。現在の社殿は昭和53年に建て替えられたもので、明治時代に建てられたお社は「開拓の村」に移され、保存されています。開拓の守り神だった神社ですが、夫婦の神様を祭っていることから、夫婦円満や子宝の神社としても親しまれています。帰り際に境内の入り口の石灯籠をよく見ると、台座に「金婚記念」として奉納されたことが刻まれていました。御利益があったんですね。

大谷地神社

続いては、大谷地神社。信濃神社と同じく明治30年の創建です。南郷通から続く石段にはやはり長い列ができていました。28段あるこの石段をはじめ、参道の雪かきは、神社を支える総代会の有志十数人が5日交代で担当しているとのことでした。そういう話を聞くと、心して上らなければという気持ちになります。大谷地神社は縁結びのご利益があるとして親しまれています。縁結びの神でもある大穴牟遅神(おおなむちのかみ)を祭っていることに加えて、災い転じて福となす出来事があったためです。下の写真は2018年の台風で倒れた境内の桜の切り株です。ハートの形をしていますよね。これが話題になり、縁結びの“神通力”がパワーアップしました。

もう一つ、大谷地神社でびっくりしたのが、おみくじの多さです。普通の「おみくじ」のほかに、「天然石ストラップ付おみくじ」「男みくじ」「女みくじ」「恋みくじ」「こどもおみくじ」など12種類もあります。社務所の前はお気に入りのおみくじを求める人たちで賑わっていました。

こちらの神社の宮司は、長年豊平神社の宮司が兼務して来ました。しかし、2014年に社務所を建て、豊平神社宮司家の三橋一史宮司(みつはし・かずふみ 46)が常駐するようになりました。常駐し始めた時、おみくじは普通もの1種類だけでしたが、「地域の人たちに親しまれる神社」を目指して少しずつ増やしてきたといいます。これらのおみくじはいつも置いてあるということで、自分に合ったおみくじで運を開いてみてはいかがでしょうか。

下野幌八幡神社

次は青葉町にある下野幌八幡神社。こちらは白石神社との関係が深く、販売されているお守りやお札も白石神社のものでした。臨時の社務所には地域の人たちが詰めていました。札幌市が出した「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」には、神社名が「しものっぽろやはた」と出ていますが、詰めていた人たちに伺うと「みんな『はちまん』と呼んでいます。『はちまん』でお願いします」とのことでした。毎年9月の第2日曜日には秋の例大祭が行われ、出店が出て、カラオケ大会が開かれるほか、境内には今も土俵があり、子供相撲も開かれます。子供神輿が地域に繰り出すということで、社務所の壁には、その年々の子供神輿の記念写真がずらりと掲げられていました。地域の人たちが支える手作り感のある神社でした。

上野幌神社

JR上野幌駅近くにある上野幌神社を訪ねたころには、もう日も暮れていました。紅白の提灯に灯りがともされ、乙な雰囲気です。早速お参りをと、お社に近づくと金属製のピカピカのさい銭箱が目に飛び込んできました。社務所に詰めていた方に伺ったところ、以前は木のさい銭箱を置いていましたが、2回も壊されたため、金属製のものにしたとのことでした。災難ではありましたが、ピカピカの箱は金運に恵まれそうな雰囲気もあり、これもまた可なりという感じでした。もう一つ珍しいものがありました。御朱印です。こちらの神社の御朱印は、社務所の開いているお正月とお祭りの時にしかもらえない「レアもの」だというのです。そう言われると欲しくなるのが俗人の常。私も1枚いただきました。

さて、元日の初詣はあと2社を残し、ここまで。「厚別七福神めぐり」は2日間にわたるグレート・ジャーニーとなりました。

澄丘神社

正月二日、まずはもみじ台地区にある澄丘神社です。厳しい寒さながら天気はよく、青空をバックにした神社はまさに「澄丘」という感じでした。参拝客も一段落したようで、すぐにお参りすることができました。こちらの神社は、最先端のIT企業が集まる札幌テクノパークの第二テクノパークエリアの真ん中にあります。この神社はもみじ台団地の建設が盛んに行われる中、昭和50年(1975)に現在地に再興されました。しかし、第一テクノパークの北側に第二テクノパークが造成されることになり、札幌市から神社側に移転が持ちかけられました。結局、適当な代替地が見つからなかったため、市側も諦めたということです(北海道新聞 1987.11.25朝刊)。神社の方に伺ったところ、仕事始めの4日以降は、テクノパークの企業からご祈祷の予約は入っているとのことでした。氏神様であると同時に、ハイテクの守り神でもあるんですね。

山本稲荷神社

右上は「謝恩之碑」

最後にお参りしたのは厚別西にある山本稲荷神社です。こじんまりした神社ですが、お稲荷さんらしい赤い鳥居と社殿がとても鮮やかです。神の使いの狐の石像も鎮座していました。ちょうど近所の親子が初詣に訪れ、真っ赤なさい銭箱におさい銭を入れて手を合わせていました。

山本地区は、厚別区の中でも一番遅く明治41年から本格的に開拓された地域で、衆議院議員をしていた山本厚三(こうぞう)の農場だったことからその名が付きました。一帯は泥炭地だったため、排水溝を巡らせるとともに、かんがいの用水路を作って厚別川から水を引くなど、大規模な工事を行って、水田を作っていきました。昭和19年には、農地開放を行い、自作農を増やそうという道庁の方針などを受け、山本厚三は小作人57人に安い価格で農地を払い下げました。境内には、この農地開放に感謝する「謝恩之碑」などが立っています。

思いつきでやってみた「厚別七福神めぐり」でしたが、地域ごとの歴史や表情が垣間見えて、相当におもしろかったです。元日は特に混みあうので全部回るには5時間ぐらいはかかるし、十分な防寒対策も必要ですが、みなさんもぜひお試しください。正月三が日に「厚別七福神」すべてにお参りして御朱印やスタンプをもらうと、特別なお守りがもらえるといった企画もあったらいいなあと思います。

ことし一年、みなさんにも「厚別七福神」のご加護があらんことお祈りしています。

【参考文献】

「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」 札幌市教育委員会文化資料室 昭和61年12月

「あつべつ見聞録(第3版)」 札幌市厚別区 平成9年4月

「厚別黎明期の群像 ーこうして札幌市厚別区の歴史は始まったー 」 

       厚別中央地区まちづくり会議・厚別中央歴史の会 平成25年9月

「山本開基百年記念誌」 山本開基百年記念事業協賛会広報部会 平成20年12月

「厚別開基百年史」 厚別開基百年記念事業協賛会編集部 昭和57年8月

 

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