カルチャー ヒストリー

厚別の歴史 語り継ぐ

厚別歴史写真パネル展

写真の説明「1938(昭和13)年7月12日、厚別西地区の山口さんの家で大切に育てていた馬が軍用馬として出征した時の写真」。確かに馬の立派な体躯に山口家のみなさんが注いだ愛情の深さが感じられますよね。

写真の説明「昭和4年5月17日 厚別警察署の斜め後ろ側にあった厚別火葬場に向かう葬列の様子。狭く細い昔の国道12号線はご覧のように泥んこ道でした。左の写真は昭和48年頃に同じ場所から写しました」。昔の国道は砂塵や馬糞が舞ったかと思えば、雨でぬかるむという状態で「酷道」と言われていたといいます。

写真の説明「農繁期、厚別各地の部落集会場やお寺は季節保育所になりました」。子どもたちの元気が木柵からはみ出している感じですよね。

こうした厚別の歴史を物語る写真パネルの展示会が11月24日から3日間にわたって、新札幌のサンピアザで開かれました。「光の広場」には、地域やテーマごとに構成した写真パネル34点や年表が展示されました。各パネルには写真が撮られた時期や時代背景に関する説明が添えられています。

この歴史写真パネル展は、まちづくり組織「あつべつ区民会議」のメンバーなどが実行委員会を作って2010年から毎年開いてきました。ただ、おととし、去年は新型コロナのために中止を余儀なくされ、11回目の今回は3年ぶりの開催となりました。

冒頭に紹介したような写真が並んでいるわけですから、買い物途中にちょっと立ち寄ったという人たちも、思わず見入っていました。「これ、どの辺?」「えっ、昔こんなんだったの!」「懐かしいね。昔を思い出すね」「随分変わったよね」。そんな声があちらこちらで聞かれました。

実行委員会 松山瑞穂 代表

実行委員会代表の松山瑞穂(まつやま・みのる 84)さんは「厚別は、明治・大正期の開拓に加え、昭和40年代からのニュータウン開発によって想像もつかないほど大きく変わりました。そして、今も再開発が続いています。私たちのマチはこういう歴史を歩んできた地域なんだということを知ってほしいと思って続けています」と話しています。

“おいしい”地元企業のトークショー

最終日の26日には、「厚別はなぜ“おいしい”か」というテーマで、厚別軽工業団にある二つの食品メーカーの方を招いてトークショーが行われました。まず、実行委員会の杉浦正人(すぎうら・まさと)さんが、厚別に軽工業団地が造られた背景について、国道12号線沿にあり、JRの貨物ターミナルにも近いなど地の利があること、丘陵地帯の伏流水や野津幌川など「水」にも恵まれていることなどを紹介しました。

「新札幌乳業」 中澤卓司 取締役

この後、「新札幌乳業」取締役の中澤卓司(なかざわ・たくじ)さんが、会社の歩みについて話しました。この中で、1953年に厚別の酪農家たちが酪農協を結成したのが始まりで、地元の学校や病院に牛乳を供給してきたこと、1989年に酪農協を発展的に解散して株式会社の「新札幌乳業」としてリスタートをきったことなどが紹介されました。「新札幌乳業」は、厚別で酪農が盛んだったことを今に伝える根っからの地場企業なんですね。中澤さんは「厚別牛乳」という名前で牛乳を売り出していることについて、最大の出荷先関東方面では、『北海道』という名前が入っている牛乳は結構あるので、厚別という名前で差別化を図っているとしたうえで、「育てていただいた地域の名前を大切にしていきたい」と、地元企業としての熱い思いを語ってくれました。

「川西製餡所」 川西常夫 社長

続いてマイクを握った「川西製餡所」社長の川西常夫(かわにし・つねお)さんからは、厚別の「水の利」について話がありました。おいしい「あん」を作るには、良質の小豆とともに、「水」の良し悪しがカギになるというのです。工場には深さ200mぐらいの井戸が2本あって、くみ上げた水で小豆を炊き上げています。この「水」が、ミネラル分が豊富で、小豆の風味をうまく引き出してくれているというのです。元々東区で創業し、1988年に厚別に移転しましたが、「水が合った」というわけです。また、「新札幌乳業」から牛乳やバターを供給してもらってカスタードクリームやミルクジャムを作るなど、ご近所同士の連携も進んでいるとのことです。菓子店などへの「あん」の供給に加え、さまざまな最終製品を開発しているほか、JR新札幌駅の高架下にあるパン店の経営を引き継いだことも紹介されました。新たな展開を目指して、近く社名も変える予定との話もありました。

お二人の話を聞いていて、厚別はこれからますます「おいしい」マチなりそうだと思ってしまいました。

今後への期待

このパネル展、今回が11回目だと言いましたが、回を重ねてこれまでに作った写真パネルは180枚に達しました。1枚のパネルに数枚の写真が使われているので、その数は数百枚に上っています。

これらパネル展で紹介されてきた写真は、2001年まで智徳寺(ちとくじ)の住職を務め、ことし8月に亡くなった多田一也(ただ・かずや)さんや先々代の住職が長年撮りだめたものがベースになっています。さらに厚別区や、地元企業、市民から提供された写真も加わり、今や貴重な一大コレクションになっています。実行委員会の松山さんによると、「数えたことがないので正確な枚数はわからないけど、2000枚ぐらいあるかもしれません」とのことです。こうなると、「あつ!ベンチャー」としては、ぜひこれまでのパネルを一冊にまとめて写真集を出してほしいと思わずにはいられません。ことしは札幌市制100年ということで、札幌市関連の写真集が相次いで出版されました。他にも、このところ道内各都市の写真集が次々と出版されています。ここはぜひ厚別の写真集も! 期待したいと思います。

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