チャレンジ パーソン ヒストリー

厚別企業家列伝① 村田晃啓さん

31店目の海外店舗

ハノイセンター店とハノイセンター外観

経済成長を続けるベトナム・ハノイの中心部にある高級ホテルやショッピングモール、オフィスなどの複合施設「ハノイセンター」。ここに今年3月1日、「メガネのプリンス」の新店舗がオープンしました。「メガネのプリンス」といえば、道内では最多の55店を擁するメガネチェーンです。♪メガネのプリンス♪というテレビCMでもおなじみですが、今や東南アジアへの積極的な出店攻勢でも注目されています。2015年にハノイに最初の海外店舗をオープンさせて以来、ベトナムに24店、マレーシアに2店、カンボジアに2店、インドネシアに3店と、合わせて31店もの海外店舗を展開しています。そんな「メガネのプリンス」、実は厚別で創業し、今も厚別に本社を置く地元企業でもあります。この会社を一代で築いたのが(株)ムラタ会長の村田晃啓さん(むらた・あきひろ 83)です。気さくで、飾らない人柄。穏やかに語られる半生記はとてもドラマチックでした。

3坪からの挑戦

厚別マーケットの店舗と村田さん

 上の写真は20歳で「時計・眼鏡の村田」を創業した頃の村田さんです。ひばりが丘の旭町十字街にあった「厚別マーケット」の1階。広さはわずか3坪でした。村田さんは1942(昭和17)年、歌志内市の時計宝石店の長男として生まれました。高校卒業後、札幌の眼鏡店で修業し、20歳で独立を決意。どこに店を持とうかと、オートバイで札幌に探しに来た時、たまたま大規模な団地の造成現場を通りがかりました。ひばりが丘団地でした。新しい住宅が整然と次々に建てられているようすを目の当たりにして、「ここは将来性がある」と勘が働いたといいます。団地住民の台所となっていた市場に一つだけ空きがあると聞いて、即決しました。1962(昭和32)年10月1日、「時計と眼鏡の村田」が誕生しました。店舗の2階の4畳半が住まいで、台所とトイレは共同。妻とともに銭湯に通う日々でした。「♪神田川♪みたいだったよ。でも、すべてはあそこから始まったんだ」。村田さんは懐かしそうに目を細めます。

地域密着の経営

移転した単独の店舗

 「ひばりが丘に決めたのは当たりだった」。そう振り返るように、店は子育て世代の団地住民で繁盛しました。村田さんは、借金を早く返して店を大きくしたいと、食べるものも切り詰めて資金を貯めました。マーケット内の魚屋や八百屋が余り物をくれるのがありがたかったといいます。そして3年後、厚別マーケットの向かいにあった単独店舗への移転を果たします。店の広さは3倍余りの10坪に、1階奥に居間と台所、2階には10畳ほどの部屋がありました。村田さんは2階に付近の商店街の若手を集めて勉強会を始めました。毎月10日に開くことから「十日会」と呼ばれました。商工会議所に頼んで講師を呼び、これからの経営について学んだほか、七夕に提灯行列をやったり、ビルの屋上で生演奏付きのビアパーティーを企画したりと、地元を盛り上げる活動にも力を注ぎました。厚別商店街の事務局長も務め、地域密着の商店経営にやりがいを感じる日々でした。

アメリカ西海岸での決断

厚別南の(株)ムラタ本社

 そんな村田さんに大きな転機が訪れます。札幌市が陸上自衛隊の弾薬庫の跡地などに「厚別副都心」を建設するという大規模な開発計画を打ち出したのです。1973(昭和48)年には国鉄の新札幌駅ができ、77(昭和52)年にはショッピングセンターのサンピアザがオープンすることになりました。開発事業を担う札幌市の第三セクター「札幌副都心開発公社」からは、サンピアザへの出店を打診されました。しかし、出店には多額の初期投資に加え、テナント料も当時の店舗よりかなり高額で、大きなリスクを伴います。出店すべきかどうか悩んだ村田さんは、その答えをアメリカに求めました。サンピアザのキーテナントに決まった大手スーパー・ダイエーが主催する、西海岸の視察ツアーに参加したのです。このツアーで村田さんは、ロサンゼルスなどの郊外に2000台もの巨大な駐車場を備えたショッピングセンターが次々にでき、大いに賑わっているのを目の当たりにしました。日本でも郊外のショッピングセンターの時代が来ると確信したといいます。もう一つ、当時村田さんの店の主力商品だった時計は、アメリカでは低価格のものが主流になり、修理をして使い続ける人は少なくなっていることもわかりました。サンピアザにメガネに特化した専門店を出店しよう。村田さんが出した結論でした。視察翌年の10月1日、資本金200万円で「株式会社ムラタ」を設立。「勝負するからにはNo.1の「メガネのキング」を目指したいと思いましが、「都会的なスマートなイメージで行きたい」と、屋号は「メガネのプリンス」に決めました。

「似合うメガネ」で快進撃「似合うメガネ」で快進撃

開店時のサンピアザ本店  サンピアザ空撮(1978年)

 1977(昭和52)年6月10日、新札幌の核となる「サンピアザ」(スーパー「ダイエー」+94の専門店など)がオープン。「メガネのプリンス 新札幌サンピアザ本店」が誕生しました。店舗は2階の今の場所の斜め向かい、アクセサリーショップがあるところでした。「もしダメだったら、首をくくるしかないような状況だったけど、大丈夫、行けるという自信はあった」といいます。村田さんはこの第二の創業に当たって、新しい旗印を掲げました。「メガネはファッション。似合うメガネを提供する」という方針です。「お客さんにどんなメガネが欲しいか聞くと、みんな似合うメガネが欲しいって言うんですよ」。正確な検眼や加工技術は当たり前。いつも同じメガネをかけるのではなく、仕事かレジャーか、何色のどんな服を着るかでいくつかのメガネを使い分ける。そんなメガネを楽しむ時代が来るとにらんだのです。店頭には、手頃な値段で買える、お洒落なメガネを並べました。そして、団地に行ってはチラシを配り、新札幌駅の利用客にはティッシュを配り、必死でPRしたといいます。その甲斐あって売り上げは予想を上回り、初年度から黒字を達成しました。「お手頃でおしゃれな似合うメガネ」は急増したニュータウンの住民にたちに支持されたのでした。

 村田さんはこの勢いを駆って、一気に攻勢に出ます。出店からわずか2年後には、札幌の「ニチイ藻岩店」に2号店をオープン。次々にできる郊外の大型店に出店するという手法で、道内各地でチェーン展開を図っていきます。サンピアザ本店も開店の3年後には改装して拡張。1983(昭和58)年には厚別南に本社ビルを建てました。今では、道内55店、沖縄2店と、国内店舗だけでも57を数えるメガネチェーンとなりました。

独自ブランド「クリオネ」

 また、「似合うメガネ」路線を追求した結果、2011(平成23)年には独自ブランド「クリオネ」を発売しました。「クリオネ」は約46万本を売り上げるヒット商品となっています。各店舗には、お客の顔の画像を取り込んでAIが似合うメガネを選んで提示するデジタル装置が設置されているほか、同様のサービスを提供するスマホ用アプリも開発しました。

即決の東南アジア進出

ベトナムとカンボジアの店舗

 道内でのチェーン展開の次に村田さんが目指したのが、経済成長の続く東南アジアへの進出です。2014(平成26)年12月、ベトナム・ハノイに建設されていたイオンのショッピングセンターを視察した村田さんは、その場で出店させてほしいと申し入れました。イオンの担当者も驚くほどの即決でした。ハノイの街は轟音を上げながら疾走するバイクであふれていました。「メガネ1個が平均月収と同じくらいなので、売れるかどうか不安はあった。でも、これだけ活気があるなら、なんとかなると思った」。海外1号店は、視察からわずか10か月後にオープンしました。これ以降、ベトナムを中心に東南アジアへ出店ラッシュが続いています。2026年2月期の海外店舗31店の売り上げは9億円と、売り上げ全体(43億800万円)の20%を占めると見込まれています。海外店舗をさらに増やし、国内店57店と合わせて100店を達成するのが目下の目標です。

会長室の壁には海外店舗の写真が

すべては厚別から

 村田さんは2013(平成25)、創業50周年を機に社長を娘婿に引き継ぎ、会長となりましたが、今も週に3・4回はサンピアザ本店を訪れています。メガネは約50本持っているとのこと。取材させていただいた日は、ネクタイの色に合わせて水色のメガネをかけていました。ちょうど休みの社員が立ち寄り、子どもを囲んで話が弾んでいました。サンピアザ本店は来年で50年になります。ひばりが丘の店はサンピアザ出店の4年ほど後に閉めたので、この本店こそが村田さんにとって原点となっています。「ここに来ると昔からのお客さんにも会えるのも楽しみなんだ。新札幌は昔は何もなかったのに、本当に大きな町になった。でも、近くにエスコンフィールドやラピダスもできたし、もっと発展すると思うよ。年を取れば取るほど、地元への思いが強くなってくるね。サンピアザ出店が成功したから今があるんだから」。穏やかな笑顔には達成感が感じられました。

「メガネのプリンス」ホームページhttps://www.mega-pri.co.jp/

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