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新札幌50年(1)  駅は「あいさつ」から始まった

JR新札幌駅は1973(昭和48)年9月9日に開業し、ことしで50周年を迎えます。駅周辺の当時の地名は「下野幌(しものっぽろ)」。新札幌駅の開業によって、この地域が「新札幌」と呼ばれるようになり、「副都心」「ニュータウン」としての開発が本格的に動き出しました。16年後には厚別区が誕生し、今では人口約12万4000人を数えています。そこで『あつ!ベンチャー』では、「新札幌50年」と題して、いくつかのトピックスを手がかりにニュータウンとしての歩みを振り返り、地域のこれからを考えるヒントを探ってみることにしました。どんな出会い、発見があるか、乞うご期待です。1回目は新札幌駅開業のころの、ちょっとうれしくなるエピソードです。

ここに「新札幌駅10年のあゆみ」という記念誌があります。開業してちょうど10年後の1983年9月に当時の国鉄新札幌駅が出しました。10年間の記録や写真とともに、歴代6人の駅長や関係者が思い出を綴っていて、当時のようすが生き生きと伝わってきます。開業の8日前に赴任したという駅員は、その時の印象をこう記しています。

どう見ても野中の一軒家と言った所で、はたしてここで、純旅客駅として営業が成立つのだろうかと、いささか淋しい思いが胸をかすめました。

開業翌年の新札幌駅

駅の開業当時を知る人たちから「駅のあたりは何にもなくて、西部劇の荒野のようだった」といった話は聞いていましたが、駅の人たちもやはり同じような思いを抱いていたんですね。周辺の開発に先駆けて忽然と駅ができたわけですから無理もありませんよね。それでも、この「野中の一軒家」だった駅では、当時としては珍しい試みが行われていました。初代駅長・越後謙一郎さんの述懐です。

お客様に親しみをもたれる駅にしたいと、改札口では朝は「お早うございます」夕方は「お疲れ様でした」といい続け、お客様からも同様な声をかけられ、その数の増してくるのにホッと喜びを感じた事を思い出します。

「新札幌駅10年のあゆみ」より

最初だけだったんじゃないの?イヤイヤ、第3代駅長の坂野厚さんもこう記しています。

着任して先づ驚いたのは、全職員が改札口で「おはようございます」「ご苦労様でした」と乗降のお客様に朝晩挨拶することだった。フロントサービスの良いことで定評のある駅でも「どうも」と会釈する程度で、これは開業当時の皆さんが良い伝統を作り、地域住民に愛される駅にしようという心構えに身の引きしまる思いであった。

当時は駅員が改札に立ち、切符を切ったり、定期券を目視で確認したりしていました。そういう意味では乗客と駅員が相対する機会は今よりずっと多かったと思います。しかし、国鉄時代は顧客サービスという考え方はまだ浸透していませんでした。初代の越後さんが駅長を務めていた時期には、国鉄の労働組合がストライキ権を求めて8日間にわたって列車の運転を止めた「スト権スト」もあり(1975(昭和50)年)、国鉄の職場内にも、利用客との間にもピリピリとした空気がありました。開業当初からの試みを引き継いだ坂野さんの文章からは、駅員が乗客にあいさつをするという行為が当時いかに特別なことだったかがうかがえます。

それでは、新札幌駅のこの試みを利用客側や地域人たちはどう見ていたのか。確かめようと思い立ったものの、50年も前のこととあって確認作業は難航しました。厚別区内の老人クラブの集まりにお邪魔したり、地域の歴史に詳しい方々に聞いたりしました。しかし、「まだその頃はこの辺に住んでなかったんだ。その頃はまだ住民が少なかったからね」とか、「新札幌駅から電車で通勤はしていたけど、随分昔のことだからもう覚えてないなあ」といった方が多く、なかなか証言が得られませんでした。もしかして、新聞記事になってはいないかと一縷の望みを抱き、図書館で当時の新聞をあたってみました。そして遂に見つけました。新札幌駅の開業から6年後、1979(昭和54)年11月21日の北海道新聞、「ターミナル周辺」というタイトルの囲み記事です。

国鉄新札幌駅の駅員の対応ぶりが好評。改札口で朝の出勤時は「おはようございます」。夕方は「ご苦労さま」と一人一人にあいさつ。

この記事を見つけたときは、図書館の静寂の中で、思わずガッツポーズをしてしまいました。道新の記者が紙面で触れるぐらいですから、やっぱり評判になっていたんですね。この後、同人誌に小説やエッセイを発表し活躍していた伊藤桂子(いとうけいこ)さんが、道新のコラム欄「朝の食卓」に「新札幌駅」というタイトルで駅員のあいさつについて書いているのも見つけました。

朝、改札を通ると「おはようございます」と一人一人に言っている。夜は定期券の客に対しては、「お疲れさま」とか「ご苦労さま」とか言い、切符を持った客に対しては「ありがとうございます」というように使いわけて、いつ通っても感じがいい。(この後、ある日曜日の夜、札幌発の列車が10分以上遅れて新札幌駅に到着した時のことに触れています。一人の乗客がもみじ台方面に接続するバスが待っててくれているか駅員に聞き、バスの方に走り去った後、駅員がこう対応したと書いています。)スピーカーの放送で「お待たせしました。ただいま列車が到着しました。バスレーン、ありがとうございました」と、待っていたバスに向かって駅員が言った。(中略)この駅は乗客の一人一人にあいさつをするだけでなく、遅れた列車を待ち続けたバスの乗務員や乗客に対してもこんな心づかいをしているのかと、やっぱりいい感じだった。(北海道新聞1980(昭和55)年6月7日朝刊)

気持ちがほっこりしますね。初代駅長が、駅員のあいさつに対して「お客様からも同様な声をかけられ、その数の増してくる」と書いたような光景が、新しい街の駅にはあったんですね。

新札幌駅は、札幌市が「副都心」の開発を目指し、陸上自衛隊に弾薬庫を移転してもらい、さらに当時の国鉄に要請し、建設費を全額負担して作ってもらった請願駅です。鉄道が街を分断しないようにと、札幌市の強い要望で、道内で初めて高架方式が採用されました。さらに、駅名も、今の「札幌貨物ターミナル駅」(平和駅のところにある)が既に「新札幌駅」という駅名だったのを、市が副都心にふさわしいものにしたいと国鉄に申し入れ、わざわざ譲ってもらって付けたものです。そういう意味では札幌市にとっては「念願駅」と言ってもいいのかもしれません。駅員のみなさんもそんな地元の意気に感じて「あいさつ」という形で応じてくれたのではないでしょうか。

札幌近郊の駅では1998(平成10)年度に自動改札機が導入されました。改札に立つ駅員もいなくなり、駅員のみなさんと私たち利用客が言葉を交わす機会も少なくなりました。でも、地域に新札幌という呼び名をもたらし、ともに歩んできた駅が、駅員と利用客との双方向のコミュニケーションから始まったという事実は、心に留めておきたいと思います。

駅員のみなさんが作った新札幌駅周辺のイラストマップ、好評です。

札幌市の計画部長・開発部長として、副都心開発に携わり、その後道議会議員を務めた国本康夫さんは、「新札幌駅10年のあゆみ」に寄せた一文で、駅名決定の経緯について次のように記しています。

名称も副都心の駅に似合わしく、市としては新札幌駅にしたいと国鉄に申入れをしましたが、国鉄では既に新札幌貨物駅があり、苦労されたと聞きました。

なお、新札幌駅開業の経緯については、去年4月の「あつ!ベンチャー」最初の記事、「えっ、そうなの?!」や、次の「この駅名 持ってるかも!」をご参照ください。

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