朝8時前。気温-7℃。キーンと張り詰めた静寂の中に、カメラのシャッター音がかすかに響きます。ここは野幌森林公園。500ミリの望遠レンズをのぞき込んでいるのは、久米谷弘幸さん(くめたに・ひろゆき 72)です。厚別東の自宅から毎朝のように野幌森林公園に通うようになって23年になります。森の中で鳥や動物、植物を探し歩いて、その営みをカメラに収める。久米谷さんはそれを「探見」と呼んでいます。地元の「探見」、これこそ「あつ!ベンチャー」だ!。というわけで、いっしょに連れて行ってほしいとお願いしたところ、快くOKをいただきました。1月18日、3468回目の「探見」に同行させてもらいました。
午前7時半過ぎに、大沢口で待ち合わせ。前日の朝までにまとまった雪が降ったので、果たして長靴で歩けるのだろうかと心配する私に、久米谷さんは余裕の笑顔です。「先に通った人たちの跡が、ちゃんと道になっているから大丈夫」。確かに、森に足を踏み入れると、遊歩道の左側には歩行者用の道が、右側には歩くスキー用の道ができていました。冬も森を訪れる人たちが結構いること、しかも、歩行者とスキーの人がちゃんと通るコースを分けていることに驚きました。
冬は木々の葉が落ちるので、バードウォッチングには最適のシーズンだということですが、どこに鳥がいるのやら、全然わかりません。すると、久米谷さんは、雪の上に落ちていた木の実を指さして、「シナノキの実です。鳥が食べようとして落としたんです。このシナノキに鳥がやってきている証拠です。鳥は木の実のあるところに来ます。鳥を撮ろうと思ったら、まず木を、植物を知らなきゃならないんです」。120%納得のお話です。私は、どの広葉樹もみんな葉を落として、枝だけになっているように思っていました。しかし、カメラをズームにしてのぞくと、確かに枝先にちゃんと実がついている木がたくさんありました。
樹上に、枝を集めて作ったような塊があるのを見つけました。「あれは鳥の巣ですか」「いや、あれはヤドリギという寄生植物です。鳥が実を食べに来て、フンをする。それを栄養分にして、ヤドリギがさらに生長するんです」。これまた「なるほど」。
鳥たちはどこに木の実があるかを知っていて、それをひと冬かけて少しずつ食べていく。森の豊かな実りが、厳しい冬の間も鳥たちの生命を支えている。久米谷さんの説明を聞いていると、無味乾燥な、モノクロームにしか見えなかった森が、徐々に色彩を帯びてくるように感じました。
久米谷さんは元テレビ局のカメラマンです。ニュースやドキュメンタリーの取材現場で活躍しました。番組の撮影で道東のタンチョウやシマフクロウの住みかに通い詰めたこともあるというスペシャリストです。野幌の森に通い始めたのは2000年、50歳の時でした。健康維持のための休日のウォーキングでしたが、どうせ歩くなら記録に残そうと毎回写真日記を作ることにしました。定年退職後は、悪天候の日以外は毎日通うようになりました。実家は北竜町の戦後開拓農家という久米谷さん。森の中を歩いているとサルナシ(コクワ)や山ブドウを取って食べていた少年時代が蘇るといいます。
久米谷さんは、木の実やさえずりやキツツキ類のドラミングを頼りに、カワラヒワ、コゲラ、ゴジュウカラ、キクイタダキと、次々と見つけ、連写のシャッターを切っていきます。「あっ、コゲラがいる」「えっ、どこですか」「あの木の上の方」「えっ、どこですか」こんなやりとりを二度三度。ようやく見つけて、持っていたコンパクトカメラを向けると、もう鳥の姿はありません。久米谷さんの方を振り向くと、ちゃんと撮り終えていました。さすがは「森の達人」です。途中、同じようにカメラを持った人に何度も出会いました。「きょうは何が撮れましたか」「フクロウはいなかったね」。木や鳥も、そして森に集う人たちも、みんな久米谷さんの友だちという感じでした。
この日の「探見」は大沢口からエゾユズリハコースなどを回る2時間ほどでしたが、クマゲラやフクロウなどに出会えた時は、4時間に及ぶこともあるといいます。この日久米谷さんが撮った写真はどれも鳥の表情までとらえていて、ヤマガラなどはこちらに話しかけようとしているのではと思えるほどでした。私はなかなかまともな写真は撮れませんでしたが、それでも、真冬の森の生命の営みに接することができ、貴重な体験になりました。
さて、野幌森林公園での撮影が終わっても、久米谷さんの日課はまだ半分済んだだけです。昼食をとった後、写真日記の編集作業が始まります。この日久米谷さんが撮った写真は598枚。それを300枚、200枚と絞っていき、テーマを決め、構図や色を調整して、最終的に12枚程度を選び出します。これをA4版の画面に配置し、1枚の写真日記に仕上げます。編集作業には3~4時間かかり、でき上るのはいつも夕方になります。この日でき上った日記では、私が取り損ねたカワラヒワがメインに取り上げられていました。春を待つヤナギの芽や、遊歩道脇で見かけたユーモラスな雪だるまの写真もあり、その日の森の表情が生き生きと切り取られています。この作業を年間250日前後もやっているというのですから、本当に頭が下がります。
久米谷さんは、こうして作った写真日記を多くの人たちに見てもらおうと、毎年1年分をまとめて紹介する展覧会も開いています。今月14日から3日間、もみじ台管理センターで開かれた作品展には、去年1年間の写真日記255点のうち104点が展示されました。中には、クマゲラがヒナに餌をやる決定的瞬間をとらえた写真などもありました。会場には森の仲間などが次々と訪れ、日々積み重ねてきた力作に見入っていました。近所に住んでいるという女性は「森で会うと、今何の花がどこに咲いているか教えてもらっています。私は気づかなかったけど、見られたかもしれないものをちゃんと撮ってくれているので、本当に感動します」と話していました。
最後に、久米谷さんに「探見」の魅力について聞いたみました。「同じところを歩いても常に違っていて、新しい発見があるんです。歩いて、撮って、作って、さらにみんなに見てもらって、人との輪を作ることができる。一石何鳥にもなるんですよ。所詮遊びですけど、ライフワークでもあります」。
みなさんも五感の洗濯をしたくなったら、朝、野幌の森を歩いてみてください。きっと多様な生命の営みを目の当たりにすることができると思います。それに、大きなカメラを持った「森の達人」にも出会えるかもしれません。