厚別区のニュータウンとしての歴史を調べていて気づいたことがあります。「厚別開基百年史」(1982・昭和57年)、下野津幌郷土史(1984・昭和59年)、「上野幌百年のあゆみ」(1985・昭和60年)「小野幌開基百年」(1988・昭和63年)など、昭和の終わりごろに、各地域の開拓からの歩みをたどる郷土史本が相次いで刊行されているのに、それ以降のニュータウンとしての歩みをまとめた本が非常に少ないということです。これらの本が出されたとき、ニュータウン開発は真っ最中でした。このため、これらの本では最近の動きとして簡単に触れられているだけなんです。その後移り住んだニュータウンの住民は、私がそうだったように、地域のことに関心が薄いという事情もあると思います。比較的新しいことなのによくわからないというもどかしさをよく感じるんです。
そんな中、JR森林公園駅付近の「森林公園パークハウス町内会」が5月13日・14日の両日、地域の歩みをたどる「森林公園わが街の歴史写真展」を開くことを知りました。残念ながら私は仕事のため行けなかったのですが、先日、写真展を企画した町内会の文化交流部長・岩田徹(いわた・とおる)さん(61)に、展示した写真を見せてもらうことができました。
「森林公園パークハウス町内会」は、森林公園駅の北側に広がるマンション街の町内会です。車で厚別通から森林公園駅に通じるメインストリートを進むと、緩やかなカーブの両側に、絵に描いたようなニュータウンの景色が広がります。あの街の町内会です。会員はおよそ500世帯。1991(平成3年)に結成され、おととしで30年になりました。今回の写真展は、コロナ禍も一段落したのを受けて、30周年記念事業の一環として行われました。集会施設の会場には、街の変遷を示す写真や地図など40点あまりが展示されました。その一部をご紹介します。
この写真はまだ造成が始まる前の1978(昭和53)年の森林公園駅付近の写真です。この一帯は三菱地所が「森林公園パークタウン」と銘打って開発しました。1970(昭和45)年から用地の買収が始まり、10年後の1980(昭和55)年から造成が開始されました。元々は畑でしたが、既に買収が終わり、野原のような状態になっていました。今の街の姿からは想像もつきませんよね。
上の写真は、国土地理院の航空写真です。「森林公園パークハウス町内会」のエリアはちょうど矢印のような形をしています。1981(昭和56)年には、このエリアの造成はまだ始まっていません。85(昭和60)年になると、メインストリートが作られ、矢印の先端部にはマンションが建ったのがわかります。2004(平成16)年、2018(平成30)年と、年を追うごとに建物が増え、西側の厚別北若葉公園や小野幌川沿いの樹木も大きくなり、緑が濃くなっているのがわかりますよね。
この写真は上の1985年の航空写真の翌年1984(昭和59)年のもので、今の六花亭のあたりからこの年9月に開業した森林公園駅の方向を写したものとみられます。航空写真で矢印の先端に見えたマンションが画面の左奥に立っているのがわかります。真ん中の白い建物は森林公園駅です。この駅は、三菱地所や厚別地区の町内会組織、札幌市などで期成会を作って国鉄に働きかけ、期成会が建設費を負担して新設されました。新札幌駅と同じく請願駅なんです。
ご覧のように、街の変遷が本当によくわかる写真展だったんですね。さて、これらの写真を集め、展示会を企画した岩田徹さんをご紹介します。
岩田さんはちょうど「森林公園パークハウス町内会」が発足した1991(平成3)年にこの街の住人になりました。これだけの写真を集めるのはさぞや大変だったのではと尋ねると、「そうなんです。こんなに大変だとは思いませんでした」とのこと。町内会の会員に写真の提供を呼びかけましたが、やはり開発前や開発中の写真を持っている人はいませんでした。ディベロッパーの三菱地所にも協力を求めましたが、住宅販売用に作ったパンフレットの写真以外はもうほとんど残っていなかったということです。最初に紹介した列車の写る開発前の写真は、札幌市北区の鉄道愛好家・松宮昌信(まつみや・まさのぶ)さんに提供してもらったものです。松宮さんは大麻から厚別までの函館線沿線を歩いて列車を丹念に撮影したということで、その写真の中に、開発前の地域のようすが写っているものがあったというわけです。そんな幸運でもなければ、開発前や開発中の写真はなかなか残っていないということでもあります。
岩田さんが写真を集め、展示会を開いたのは、自分が居を定めた地域への愛着と、町内会活動を活性化したいという思いからでした。「歴史をひもとくことで、町内会活動にあまり参加していない若い人たちにも地域への関心をもってもらえるのではと思いました」。会場には2日間で200人以上が訪れ、熱心に見入っていたということです。来場者のアンケートには「現在住んでいる地域の昔を知るきっかけになってよかったです」「本当に何もない原野にこんな立派な街が造られたかと思うと、何だか感慨深い思いがしました」と言った感想や、感謝のことばが綴られていました。
岩田さんたちは、ことし3月にはこうした写真や地域の年表に加え、住民がこれまでの思い出や地域の課題などを話し合った座談会の記録などを収録した30周年記念誌やDVDも作りました。岩田さんは「私にとっても地域を知り、魅力を発見するいい機会になりました。やってよかったです」と話してくれました。
ニュータウンといっても、開発から数十年が経ち、もはや「ニュー」ではなくなっています。「ニュータウンなんだから、資料も写真もいくらでも残っているだろう」というのは幻想です。開発当時のことを知っている方も少なくなり、今、資料や証言を集めて記録しておかないとわからなくなってしまうのではという危機感を感じています。今回の「森林公園パークタウン」のみなさんの試みは大いに参考になりました。こうした動きがあちこちで生まれ、大きな力になっていくことを期待しています。